東野圭吾の「天空の蜂」が映画化され、随分前にDVDにもなりました。今更ながらとは思いますが、ようやく見たので感想を書きたいと思います。この映画(DVD)をまだ見ていない人には是非お薦めしたいくらい面白かったと思っています。つたない文章それが伝わるかどうか、不安ですが。
ストーリーはこうです。
江原(主人公)が開発した無人航行可能のヘリコプターが奪われた。ハイジャックなどというわけではなく、犯人の遠隔操作によって乗っ取られたのだ。
そのヘリは、原発「新陽」上空でホバリング。燃料が切れる8時間後にはしんようの原子炉に墜落である。犯人の要求は日本中の原発を破棄することであった。
時間内にヘリを取り戻し、原発を守ることができるか。
私は、東野圭吾の小説が好きだ。でも、小説が面白くても映画やドラマになるととたんに陳腐になるものもあります。正直、がっかりしたものもありました。
これは東野圭吾だけではないのですが、原作が面白いとそれに入り込んでしまって、自分の中で映像を作ってしまうのですね。
原作がどんなによくても、映画には時間があるし、限られた予算の中で原作の全てを表現することは難しいと思います。
でも、この天空の蜂は面白かった。これと「容疑者Xの献身」は原作の世界観そのままだったと思います。
ヘリコプターが原発を狙うという設定ですが、けして反原発映画ではありません。原発賛成、反対、それぞれの立場の人がいて、それは生活があったり、職業市民運動家であったり。複雑な人間関係が生まれて、そこで間接的にでも傷つく人ができてしまう。でも、表面的な原発賛成、反対しか誰も見ようとしない。本当のことを誰も知ろうとしないというアンチテーゼが作者のメッセージのように思います。
そして犯人のメッセージ。「常に意識させ、自らの道を選択させるのだ」。これは犯人のメッセージではなく、東野圭吾のあるいはこの映画の監督のメッセージではないでしょうか。
ところで、犯人はこの新陽を選んだ理由はなんでしょうか。ネタバレになるので、まだ見ていない方はその理由も考えながら楽しんでほしいと思います。犯人がちゃんと理由を説明しています。
そして、エピローグでは、このヘリに閉じ込められた主人公の息子が、自衛隊のヘリコプターの操縦士になって。。。
この件もステキでした。素晴らしかった。反原発的映画ではないという理由はここにもあります。本当に1995年に書かれた作品だったのだろうかと思いますし、映画にしたときにこのエピローグにした監督が素晴らしいと思います。
最期に、この映画で原発の所長と原子炉核燃料開発事業団の理事長のやりとりは何かを彷彿とさせるものがありました。