尾崎豊を見てられない

ふと、尾崎豊十七歳の地図が聞きたくなりYouTubeで検索してみました。

 

十七歳の地図だけではなく、ライブで歌う彼を見ているうちに、だんだん見ていられなくなりました。

 

あやういのです。

 

彼の歌は感性がそのまま歌に投影されていて、それが多くの人に共感するようになったのだと思います。

 

でも、感性が彼の感情に追いつかないようなのです。

 

精神的に脆いというか、彼の歌う姿は今にも壊れそうなのです。

 

夜のヒットスタジオに出ていた映像もありました。

 

彼は、覚せい剤で逮捕され、復帰後に出演したものでした。司会の古舘伊知郎と話している姿が、これまたあやうい。

歌は「太陽の破片」。感情をそのまま投影するような歌い方は、見るに耐えられない。心が痛むようでした。

 

私が尾崎豊の歌を聞いたのは中学生の時で、「十五の夜」なんてそういう年代の心情にビタっとはまる歌でした。

きっと、彼の歌をはまった人たちは同じ印象をもったのでしょう。そうして、教祖的な立ち位置に持ち上げられるようになります。

 

きっと感性が敏感で、そのくせ線が細かったのでしょう。そのうち耐え切れず薬に走るようになったのかもしれません。

 

 

尾崎豊の突然の死には、驚きました。多くの人も同じだったと思います。

 

 

彼は音楽に何を求め、何を探していたのでしょうか。